アニメキャラの生死

 なんか最近のアニメを見てて思うのは「人の命が軽くて面白くない」だ。


 いや、確かに死んではいる。ただし、それはどうでも良い、「死ぬためだけに用意されたキャラ」だ。
 私はこういう「死ぬためだけに用意されたキャラ」というのが大嫌いだ。

 私の好きなロボットアニメは、そのほとんどが戦争を題材にしながら、その生命が平等では無い。無印ゾイドの後半とかは、その極みである。

 大量の「死ぬためだけに用意されたキャラ」が死んでも悲しくは無い。
 むしろ、爽快感が残る。こんなのは戦争じゃない。

 こんな手段をとれば確かに殺した側は綺麗に映るけど、戦争を題材にするという意味では生命の重さは無い。
 まぁ、生命の重さを表現するのは最近のアニメ業界じゃあタブーらしいし、それを別の形で表現しようとするからゾイドジェネシスの人気はあまり上がらないのだが。

 なんでタブーになるのかと言うと、教育委員会が言うからである。実に馬鹿らしい話だが、真実である。
 委員会が子供に見せたいアニメの一位は読売テレビの某名探偵アニメで、「死ぬためだけに用意されたキャラ」の集まりである。

 なぜ、好まれるか。
 それは謎を解く爽快感(カタルシス)を得るからであり、カタルシスこそが大人がアニメに求めるモノである。

 確かにカタルシスを得るのは気分が良いし正しい。
 しかし、それ以前に戦争の愚かさを学ばせようとか、ゆとり教育とか、大人が社会を、子供を無視して子供に教育を押しつけるのをアニメにまでやるんだから、教育委員会は本当に子供の邪魔だなあ。

 だからいつまでたっても富野とかジブリとか古い人間のアニメを尊敬する、私のような人間ばかりがいて、アニメの表現は堕落していくんだろうけど。

 戦争体験者がいなくなっていく現状だからこそ、人の命の重さは大切にしなくちゃな、自殺するとか家族や友人の命を奪うとかいう出来事も、アニメだけの表現ならどれだけ幸せなんだろうか。

 だから私は戦争を題材にするアニメであるジェネシスを応援したい。今までと違ってキャラクター性を濃くしようというのも、生命なのだから。



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